奇跡の軌跡

恋に落ちてしまった私の物語

母とワタシ

彼は薄々、私と母の間にナニカあると感じていそう。

私が寝た切りになっても、大きな手術すら親にも相談せず1人で完結させているのを彼は知っている。

私から口を開くまで待つつもりなんだと感じる。

言えるかどうかわからないし、なんだか幸薄感すごくて恥ずかしくなる位だから、言えないかも。

その代わりにここに書き留めよう。


一言で言うと、私は母から精神的虐待を受けて育ちました。

きっかけは弟の存在かな。

弟が生まれてから母は、弟達ばかりを可愛がっていた気がします。

なので、私は子供が出来なかった母の姉に養子に出す話がずっと出ていました。

あんたは一番可愛くない。

そう言われ続けたけど、結局私を手離さなかった母。

12歳の頃、その母の姉が事故に遭い突然この世を去りました。

そのお通夜で、私は親戚中から責められました。「あんたが養子に行ってたら、◯◯は死ななかった」「養子がいてたら働きに出る事なんてなかった!」

「この人殺し!!」そう言われた。

母はかばってくれなかった。

そっか...私が殺しちゃったんだ....

でももう1人の母の姉が、普段怒らないのに大声をあげて、私をかばってくれた。

すごくそれを覚えている。

それから1年位時が経ち、少し傷口が癒えた頃に見てはいけない物を見てしまった。

宿題をしていて、わからない単語があったので親の辞書で調べようとしたら、レンガ色した辞書の中から、誰に宛てて書いたかわからない手紙が出てきた。

なんの気なしに読んでみると、母の懺悔だった。

その手紙には、私を養子に出さなかったばかりに姉が死ぬ事になった後悔が、これでもかと書かれてあった。

そして私を見るのも辛い、憎いと...


って事は、やっぱり殺したん私じゃね?!となった。

ハンマーで頭殴られた衝撃感じた。

まだ子供だったしね。

今なら私は悪くないとわかる。でもあの頃は、自分をとても憎んだ。


母に愛されたくて、勉強とかめっちゃ頑張った。英語のテストも1学期は100点と98点取った。

でも母は褒めてくれる事は全くなかった。

弟達ばかりを可愛がっているように思えた。

オカズの量が明らかに私だけ少ない。

家事を手伝っても失敗すると、責め続けられた。

親の事業失敗で倒産となり、

小学校から中学にあがるタイミングで引っ越しをしたものだから、中学校では知らない子ばかりで、浮いた存在になった。

そして虐められた。部活内で。

なんかもうどうでも良くなり、いわゆる不良グループの友達を作り、夜遅くまで遊んだ。

母との関係はますます悪化し、バイトでお金を自分で稼げるようになった高校の時は、教科書やら定期代やらも基本自分で稼ぐスタンスとなった。


母との関係がこじれると食事も私だけ数ヶ月与えて貰えなかった事も何度もある。

お腹が空き過ぎて、夜中にこっそり炊飯ジャーから、白飯を食べていると「勝手に人様の家の飯食べるな!」と怒鳴られたり、そんなの日常茶飯事だった。

日常的に言葉の暴言なんかもしょっちゅう。

父は見ないふりだった。

社会人になっても相変わらず言葉の暴力は続いた。

結婚が決まった時も、式の事で少し意見が食い違うと、母は私の戸籍?住民登録?を抜いて来た上、

早く出ていきやがれ!と、私の荷物を全部そとに放り投げ、「お前の戸籍は今日本にない状態じゃ!(多分、転出だけしたからそうなるのかな?)勝手にどこでも行きやがれ」と、怒鳴られ、靴も履かないまま放り出された。

さすがにこの時ばかりは、父が母に「お前は自分の娘にそんな酷いコト言えるんか!」と怒鳴ってくれた。

行く宛もなく、結婚後に住む家に転がりこむ事に。

ショックの余り、婚約者に泣きながら助けてとお願いした。

この事件が後に離婚の原因の一つにもなった。


お前なんか産むんじゃなかった。

お前の顔みたくない。

お前だけ可愛くない。

お前には一生何もして貰ったと思わんからな!

お前が嫌い!憎たらしい

こんな言葉達ををずーっと浴びせ続けられてきたから、甘えるなんて出来なくて、ずっと死にたかった。

自己否定ばかりし続けていた。

だから、こんなに自尊心が低くて歪んだ性格になってしまったと今でも感じる。


今でも、意識していないつもりでも、母に気に入られようと行動してしまう。旅行のプレゼントや現金は勿論、どこかに行った時はお土産、帰省する時も母や父が喜びそうなものたらふく買って帰る。


大人になって、離婚時のPTSDからの激鬱状態となり、拒食症にも陥り、自殺未遂をした事で精神科に入院するかしないかの時に、母は私の鬱状態を認めず、医者に食ってかかったそうだ。

身長161cmで体重が30kg切りそうになっていたのに、認める事をしなかったと聞いて、私は完全に母の事は諦めた。

死ぬまで分かりあえないのは、仕方ない。

距離を保ってお付き合いしようと。

そこからは楽になり、今も親子関係ってより、親戚付き合いみたいな感じでいる。

母も歳を取り、最近になって「申し訳ない事をした」と、ちょくちょく口には出してくるけど、軽く言われると余計にイラっとするので、触れて欲しくない傷となっているのかもしれない。


母親がこんなだから、私自身も「母親になる」事を諦めていた部分が少なからずある。

私みたいな子が生まれてくるのも嫌だったし、何よりどうやって人を愛したり甘えたりしたらいいのかわからなかったからね。


こんな状態の親子関係知ったら引くだろうな。

仲良く見えてそうだしね。


だから

愛されるには理由が必要。

見離されない為には、機嫌を損ねないようにしないと!って意識して生きてきてた。

彼に出会えて、まるまんまの私を愛してくれている事、本当に幸せに感じるのです。


やっぱこんな重い話し、彼にできないわ


昨日から持病が悪化し、数日間の安静が必要となった。

痛みがあるので、身体のサインと捉えおとなしくしようっと。

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